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◎ 真言僧・高野山米国別院総監の旭清澄先生 (1、4ページ)
世界的にチベット仏教に関心が高まっているが、チベット仏教と同じ系譜の密教は、西暦806年に空海によって中国から日本へもたらされている。インドで発展した後期密教が、イスラム勢力に押されてチベットにたどり着いたのが9世紀のこと。空海が日本へ持ち帰った密教は、中期密教にあたり、経典は、チベット仏教よりも古い。
ロサンゼルス高野山米国別院は、空海によって日本へもたらされた密教を受け継ぐお寺である。空海は、816年に嵯峨天皇から(現在の和歌山県の)高野山を与えられ、この場所に修行場を作ったことから、教団に高野山という名前が付いている。
広島県高田郡出身の旭清澄先生は、高野山大学で、僧侶の修行をした後、1981年9月に渡米、このロサンゼルスの寺院で、僧侶として9年半を過ごした。そのご、北カリフォルニア・サクラメントにある北加高野山の住職を16年務めた後、2007年4月から米国別院の住職と、高野山北米開教区の総監に就任した。
旭先生は、誰に対しても、機会あるごとに、密教の教えを語り始める。人間の肉体は滅びても、精神は生き続け、その精神は、別のひとの肉体に宿って、生まれ変わる。思うこと、話すこと、行いによって人間の業(カルマ)が作られて行く。悪いカルマを浄化することが、人生の目的であり、完全に浄化しきると、その人の輪廻は止まり、涅槃に至る。旭先生の説教は、今はやっているチベット仏教の教義とまったく、同じである。
旭先生はサクラメントでは、凶悪犯を専門に収容し、警備厳重なフォルサム刑務所の仏教チャプレン(教戒師)を4年間、務めていた。毎月2回、夕方の1時間半、フォルサム刑務所を訪問し、囚人たちと「仏教の教えを分かち合った」と旭先生は語っている。
きっかけは、囚人のひとりが、仏教チャプレンと話したいと、刑務所に要求したことだった。フォルサム刑務所は、サクラメント郊外に位置し、刑務所から北加高野山に、連絡があった。旭先生はフォルサム刑務所での説教にあたっては、1時間半の時間の中で、必ず1回か2回は、笑いをさそう、ふんいきを作り出すことを、心がけていたという。「囚人たちは、刑務所の中にいると笑う機会がありません。笑いは、気持ちをリラックスさせ、仏教への関心をより強くします」と旭先生は、説明している。
フォルサム刑務所では、2003年3月に、旭先生がチャプレンを始めたときは、集まる囚人たちの数は、6、7人だったが、2007年3月に、旭先生が去る直前には、43人に増えていた。人種も、白人、黒人、メキシコ人、アジア人、イスラム教で育ったアラブ人など、多様だった。仏教に対する関心が、アメリカ人の中に広がっていることを旭先生は実感した、という。
「この体験は、目から鱗がとれたような、感動的なことでした」と旭先生は、話している。凶悪犯の刑務所と聞くと、囚人たちに、悪魔か獰猛な動物のような悪いイメージを持ってしまいがちだが、実際に会ってみると、穏やかで、正直なひとたちばかりで、あったという。フォルサム刑務所は、懲役15年以上から終身刑を受ける囚人たちが、収容されており、長期間、刑務所にいる囚人たちは、人生の意味を真剣に考え始めるように、なるのだという。
再び、旭先生による仏教史の解説に戻ると、紀元前5世紀に成立したテラバダ(小乗仏教)、紀元2世紀ごろに成立したマハヤナ(大乗仏教)、そして7世紀ごろに、バジュラヤナ(密教)が成立している。「これらの3つの大きな流れは、山頂に登るためには、いくとおりのルートがあるようなもので、どこから登っても、同じ目標、つまり、悟りを得ることができる」と旭先生は、説明する。
旭先生は、仏教を広めるためにアメリカ人の僧侶を育てることをやっている。これまで、5人のアメリカ人が高野山真言宗の正式な僧侶として認められている。現在、ひとりのアメリカ人が高野山に滞在中で、僧侶になるための最後の試験を受けている。高野山真言宗では、試験が英語でも受けられるようになっており、これからは、中国語が追加される予定。
旭先生は、また多芸多趣味なお坊さんで、毎月最終日曜日の米国別院の朝の礼拝に前には、誘導瞑想クラスを行っている。また、日本語経典の英語への翻訳、精進料理クラスの開催、そしてワイン樽を使った太鼓作りから太鼓演奏の指導もしている。太鼓作りは、サクラメント時代の1993年から始まり、これまで100個以上の太鼓を作ってきた。太鼓作りのノウハウは、サクラメント都市圏芸術諮問委員会も認めるところとなり、同委員会からの援助金を得て、パンフレットやビデオを制作、サクラメントの小学校50校に配布されている。
ロサンゼルス高野山米国別院のホームページは、www.koyasanbetsuin.org
◎ 今年のジャパン・エクスポは、12月1、2日に開催 (1、7ページ)
日本の伝統と最新の流行を多角的にアメリカに伝えることを目的とする「ジャパン・エクスポ」は、今年で第28回目を迎え、12月1、2日の2日間、ロサンゼルス・コンベンション・センターで開催される。テーマは「日本の美と技」で、日本の伝統工芸品の展示、職人の技の披露がみどころとなる。今回の展示では、会場がテーマ・ゾーンに分けられ、古美術、アート・アンド・クラフト、日本旅行、日本食、Jポップ・カルチャー、イベントのテーマでブースが配置される。
古美術ゾーンでは、室町時代に作られた刀や鎧を中心に、着物店や職人ブースが展示される。玩具メーカー・バンダイがメインとなる、Jポップ・カルチャー・ゾーンでは、最新の日本アニメ、漫画、ゲーム、ファッションを見ることができる。エンターテイメント・ゾーンでは、人気ポップ・グループのドラドゴン・アッシュのアツシや、ファンタスティック・プラスティック・マシンの田中トモユキが登場する。
メインステージの目玉は、津軽三味線の吉田兄弟。吉田良一郎と健一の兄弟は、アメリカで、すでに4枚のCDを発売している。また、昨年末、任天堂がアメリカで新ゲーム機器ウイーを発売したときには、そのテレビ・コマーシャルの音楽に吉田兄弟の三味線が使われている。このほか、武芸考証監督・和気政幸が率いる殺陣パファーマンス「忍びの衆」によるアクション・ステージ、岩手県盛岡市を中心に、流行に左右されないファッション・デザインを提唱して洋裁クラスを主宰している村田愛子によるファッション・ショー、徳島の阿波踊りなどが登場する。
また、メインステージでは、人形創作者の辻村寿三郎の人形が披露される。辻村寿三郎は、人形作りだけはなく、着物デザイン、舞台衣装のデザインなども手がけている多才な芸術家。入場券は、一般大人が、12ドル。
◎ ニューオータニとリトル東京(パート2)日本文化のゲートウエーだった、ニューオータニ・ホテル(2、5、6ページ)
ニューオータニ・ホテルの建物が、ビバリー・ヒルズの3Dインベストメント社に買収されたことにともない、ニューオータニの名前が取り払われ、新しい経営陣と入れ替わることになった。これまで、ニューオータニ・ホテルは、ロサンゼルスにおける日本文化を発信する場所の役割を果たしてきた。
買収後のニューオータニ・ホテルには、半エーカーの大きさの日本庭園や、高級日本食の千羽鶴レストラン、そして日本式の風呂が付いた3室の和室も、残されるが、これまで、ニューオータニで行われた日本文化行事が、どれだけ引き継いでいかれるのか、ホテルの新経営陣の今後の対応が注目されている。
1982年から2003年まで、21年間にわたってニューオータニ・ホテルに渉外担当副部長として勤務した杉葉子さんは、ホテルの日本文化活動が最も盛んだった時期の、文化事業の担当者で、杉さんの手で年間行事や、文化イベントが企画され、実行されてきた。
「毎月第一日曜日は、お茶会や風呂敷ディスプレーなどの文化行事をランデブー・ラウンジで開催、第四日曜日は日本食料理クラスを開いて、御節料理、懐石料理、寿司などの作り方を見てもらいました。文化クラスは無料、料理クラスは一人8ドルか9ドルの参加費で、料理したものを食べてもらいました」と杉さんは、当時を振り返っている。
お茶会では、ロサンゼルスにある表千家、裏千家、江戸千家、小笠原煎茶道の各流派が交替でお手前を披露し、いけばなの紹介では、池坊、小原、草月、未生の各流派が交替で担当した。「こうした文化プログラムには、日本人ばかりでなく、アメリカ人の日本文化愛好家、そしてホテルの宿泊客までが参加していました。優れた先生たちに恵まれて、すばらしい企画でした」と杉さんは語っている。しかし、こうした文化企画も80年代がピークで、日本経済のバブルがはじけるとともに、縮小されて行った。
ニューオータニ・ホテルはまた、日本の著名文化人がアメリカに来るときのゲートウィーの役割を果たしていた。宿泊客には、安倍ジョージ、常盤新平、永六輔、寺内大吉などのそうそうたる著名人の名前があげられている。また、この時期に、杉さんは、「ニューオータニ・レディーズ・クラブ」を作り、月例のエンターテイナメントを行っている。
朝日新聞社主宰による著名人の講演会もニューオータニで行われ、有馬稲子、俵万智、倉本総、宮尾登美子らが公演した。また、ホテルの3階にある和室「橘ルーム」は、岸恵子が会合に使ったり、歌舞伎役者・坂東三津五郎九代目がロサンゼルスの弟子に免状を与えるときに使われた。日本食レストラン「千羽鶴」は、安倍晋太郎外務大臣(前安倍晋三首相の父)が昼食に使っている。
しかし、1990年代初めから日本からの宿泊客が減少し始め、やがて、ニューオータニ・ホテルの文化プログラムも縮小されて行く。
杉葉子さんは、1949年制作の映画「青い山脈」で女優デビュー、日本だけで70本以上の映画に出演しているベテラン女優。1960年代から日本を離れ、台湾、ドイツ、アリゾナを経て、1970年代からロサンゼルスに住んでいる。
◎ 2007年10月文楽北米ツアーを振り返る:アメリカに定着した文楽ファン(2,5ページ)
国立文楽劇場(大阪市)による2007年10月の北米公演は、各地で、成功のうちに公演を終えた。20年ぶりの文楽北米公演は、文楽ファンがアメリカに定着していることを、証明した。この北米ツアーの実現のためには、3年の歳月と日米両国での多くの個人、団体の努力があった。
2007年に文楽の北米公演をおこなう計画は、大阪市とサンフランシスコ市の姉妹都市提携50周年事業の一環としてもちあがった。そして、ボストン日米協会会長のピーター・グリーリ氏、サンフランシスコ・大阪姉妹都市協会の副会長スティーブ・イサオ・マツウラ氏、ロサンゼルス日米文化会館のロバート・ホリ氏の尽力によって実現した。グリーリ氏とマツウラ氏は、2007年北米文楽ツアー組織委員会の共同議長を務め、ホリ氏は、巡業部長の役割を果たした。また、文楽北米ツアーの主催団体は、ロサンゼルス日米文化会館が引き受けた。
文楽北米公演では、演目の間に、三味線、太夫、人形遣いの解説が行われたが、その時の司会進行役を務めたグリーリ氏に、アメリカで、なぜ、文楽が人気をもつようになったのか、をインタビューした。グリーリ氏自身が、初めて文楽に出会ったのは子供のころのことだった。第二次世界大戦が終わって数年後のこと、グリーリ氏の父親が連合国占領司令部に勤務するため、家族で東京に渡った。グリーリ氏が5歳のときだった。
グリーリ氏が初めて文楽を見たのは8歳のときで、文楽は、グリーリ氏にとっては、まったく新しいタイプの娯楽で、すっかり魅了されてしまった。文楽の作り出す世界には、現実以上になまなましさがあった、という。人間の感情を人形に置き換えたとき、人間が表現する以上の感情があふれ出るのだと、いう。それは、風刺表現の中に、より率直な感情が表れることに似ているのだ、という。
文楽をはじめ多くの日本の演芸は、アメリカの舞台芸術に影響を与えている、という。西洋演劇には、本物そっくりに演技をすべきだ、という伝統がある一方で、最近のアメリカの演劇界では、抽象表現を取り入れる傾向があり、そのときの手本になっているのが、日本の舞台芸術なのだという。
ジュリー・テイモアーが監督をしたブロードウィー・ミュージカル「ライオン・キング」には、操り人形が使われており、文楽から影響を受けていることは、明らかだ。また、ニューヨーク・メトロポリタン劇場で上演されたオペラ「マダム・バタフライ」ではオペラ歌手の周りに黒子が登場し、歌手を人形に見立て、黒子が人形遣いで、あるかのような演出が行われている。
このように、文楽への関心がアメリカで高まっていたにもかかわらず、1998年の北米ツアー以来、文楽公演はアメリカでは行われていなかった。今回の北米ツアーの実現のためには、3年の準備期間がかかったが、グリーリ氏は、次の文楽北米ツアーが10年先にならないように、願っている、と語っていた。
2007年10月の北米での文楽の公演先は、ボストン(10月2、3日)イリノイ大学シャンペイン校(10月6日)ノースウエスタン大学エバントン校(10月8日)サンフランシスコ・アジア美術館(10月12日)UCバークレー校(10月13、14日)ロサンゼルス日米劇場(10月18、19、20日)。スポンサーは、文化庁、国際交流基金、関西経済連盟、大阪商工会議所、大阪日米協会、米日財団、北米トヨタ自動車。
(この原稿は、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校でクリエーティブ・ライティング専攻のダニエル・ウィーネルが書きました)
◎ 現代アートの村上隆の総合展示がロサンゼルス現代美術館のゲフィン別館で、10月29日から2月11日(3ページ)
第二次大戦後、日本から現れたもっとも有名な現代アーティストのひとりと言われている村上隆の大規模作品展が、10月29日から2008年2月11日まで、ロサンゼルス現代美術館のゲフィン別館のすべての展示場(計約2万平方フィート)を使って進行している。「コピーライト・ムラカミ」というタイトルの付いた展示は、開幕直前に、ロサンゼルス・タイムズ紙も2回にわたって大きく取り上げ、ロサンゼルスの都心部には、垂れ幕型の宣伝やビルボード型広告塔が多数出現している。
村上隆は1960年代前半の生まれて、東京藝術大学の日本画コースを卒業している。また藝大の博士課程を修了して、博士号も持っている。伝統的日本画と、今、流行っている漫画やアニメの世界を同時に描き分ける才能に恵まれ、工房システムを作り上げて、多くのスタッフを使い、多くの異なるジャンルの作品を同時進行で制作している。東京とニューヨーク・ロングアイランドに制作場所を持っている。
村上隆の作風は、日本画を背景に使い近代的イラストを組み合わせた絵画から始まり、今は、日本画の要素をまったく捨てて、完全に漫画の世界に入り込んだ作品と、逆に日本画の伝統だけに戻った作品とを同時に制作している。また、アニメや金属製の巨大な仏像まで制作して、今回の展開に出展している。
また村上隆を世界的に有名にしたのは、ルイビトン・ハンドバックのデザインがある。2000年からルイビトン社のデザイン部長と村上隆の共同作業が始まり、それまで、落ち着いた色調が売り物だったルイビトン・ハンドバックにカラフルな模様と漫画デザインを持ち込んだ。
今回のゲフィン別館での展示では、約1000平方フィートのルイビトンの販売店舗が作られ、実際に、村上隆の工房がデザインしたハンドバックが販売されている。「コピーライト・ムラカミ」展は、ロサンゼルスの後は、ニューヨークのブルックリン美術館(2008年4月4日から7月13日)ドイツ・フランクフルトの現代美術館(2008年9月から2009年1月)スペイン・ビルバオのグーゲンハイム美術館(2009年2月から5月)を巡回する。
ロサンゼルス現代美術館ゲフィン別館は、リトル東京にあり、入場料は大人8ドル。火、水曜日が閉館。木曜日午後5時から8時までは、無料で見ることができる。
◎ 日系3世世代が「日本町」をテーマにしたミュージカル、12月1日(3ページ)
ロサンゼルスの日米文化会館が主催で、12月1日午後1時からリトル東京のアラタニ日米劇場でミュージカル「日本町こそ、その場所」が上演される。舞台は、2005年のアメリカに存在するある日本町、という設定。99年続いた饅頭屋を経営する三世が、商売を止めようとする前夜に、この店を創業した一世のおじいさんの亡霊が現れて、三世の孫を77年前の日本町に連れて行く、という話。
日系三世世代の俳優や音楽家による公演で、美空ひばりの持ち歌や、戦前の日本歌謡が流れる。チケットは35ドル。
◎ 映画「筆子」のロサンゼルス上映会、11月18日(3ページ)
◎ 東京からやって来る「セレブレティー弦楽四重奏」の全米日系博物館の公演、11月15日(3ページ)
◎ ロサンゼルスの日本舞踊、若柳久三師匠の東京国立劇場公演の凱旋公演、1月19日に日米劇場で(4ページ)
◎ 相撲の歴史:土俵入り(4ページ)
◎ 日本旅行情報:たばこと塩の博物館で、「幕末ニッポン」展、11月23日から1月14日(4ページ)
2008年は日米修好通商条約が締結されて150年目にあたる。日本専売公社から発展した日本たばこ会社が運営する「たばこと塩の博物館」では「幕末日本」のテーマで11月23日から1月14日まで、初代駐日総領事を務めたタウンゼンド・ハリスに関する資料のほか、幕末の世相を描いた浮世絵や幕末の状況を写した古写真、さらに新発見の資料である「文久日記」(文久年間<1861年から1864年まで>における桑名藩<現在の三重県>士の江戸滞在記録)などを中心に激動する幕末ニッポンの世相を紹介する。
(東京在住、板津木綿子<いたつ・ゆうこ>さんのレポート。板津さんは南カリフォルニア大学の博士課程在籍中。現在、津田塾大学の非常勤講師)
◎ ハンフォードのクラーク・センター日本美術研究所の秋の展示「舞と面:能舞台の芸術」、12月1日まで(5ページ)
能に使われた衣装や面の展示とともに、能舞台を描いた日本画の展示。日本画は、1897年から1902年にかけて数百枚にのぼる「能楽絵図」を描いている月岡耕漁(つきおか・こうぎょ、1860-1927)の作品が8点。耕漁は、月岡芳年を義父にもつ。耕漁は「能」をテーマにした浮世絵を売り出したことで知られている。
また、最後の琳派と呼ばれる神坂雪佳(かみさか・せっか、1866-1942)の作品が11点、展示されている。雪佳の作品は、耕漁より、より洗練された丸みのある、色彩豊かな日本画ある。
◎ パサデナ-静岡県三島の姉妹都市縁組50周年記念で祝賀会(6、7ページ)
姉妹都市縁組50周年を迎えて、三島市の代表団31人は、10月1日から3日間、パサデナ市を訪問した。三島市の訪問団の中には、ノーマン・峯田元運輸長官の従兄弟にあたる峯田タケシ氏が入っていた。パサデナ市の代表は、9月初めに三島市を訪問している。
◎ ロングビーチ-三重県四日市の姉妹都市縁組は45周年に(6、7ページ)
1年繰り上げて45周年を祝う四日市からの井上哲夫市長、笹岡秀太郎市議会議長ら代表団6人がロングビーチ市を訪問し、10月26日に祝賀会が行われた。
◎ パシフィック・アジア美術館でフランス人浮世絵師の展示、12月6日から3月30日(8ページ)
日本の浮世絵がモネやゴッホなどのフランス印象派に大きな影響を与えたことは、よく知られていることだが、フランス人の浮世絵師が日本に居たことは、あまり知られていないことである。ポール・ジャクレーは1896年にパリで生まれた。4歳のとき、フランス政府の役人だった父の仕事で東京にやってきて、生涯を東京で過ごした。
ジャクレーの時代には、江戸の技術を受け継ぐ版画の彫使や刷使がおり、その技術を生かした色鮮やかな作品が作られている。作品は166点が残されている。展示作品は、パシフィック・アジア美術館の所蔵品。今回の展示は約20点。
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◎ 真言僧・高野山米国別院総監の旭清澄先生 (1、4ページ)
世界的にチベット仏教に関心が高まっているが、チベット仏教と同じ系譜の密教は、西暦806年に空海によって中国から日本へもたらされている。インドで発展した後期密教が、イスラム勢力に押されてチベットにたどり着いたのが9世紀のこと。空海が日本へ持ち帰った密教は、中期密教にあたり、経典は、チベット仏教よりも古い。
ロサンゼルス高野山米国別院は、空海によって日本へもたらされた密教を受け継ぐお寺である。空海は、816年に嵯峨天皇から(現在の和歌山県の)高野山を与えられ、この場所に修行場を作ったことから、教団に高野山という名前が付いている。
広島県高田郡出身の旭清澄先生は、高野山大学で、僧侶の修行をした後、1981年9月に渡米、このロサンゼルスの寺院で、僧侶として9年半を過ごした。そのご、北カリフォルニア・サクラメントにある北加高野山の住職を16年務めた後、2007年4月から米国別院の住職と、高野山北米開教区の総監に就任した。
旭先生は、誰に対しても、機会あるごとに、密教の教えを語り始める。人間の肉体は滅びても、精神は生き続け、その精神は、別のひとの肉体に宿って、生まれ変わる。思うこと、話すこと、行いによって人間の業(カルマ)が作られて行く。悪いカルマを浄化することが、人生の目的であり、完全に浄化しきると、その人の輪廻は止まり、涅槃に至る。旭先生の説教は、今はやっているチベット仏教の教義とまったく、同じである。
旭先生はサクラメントでは、凶悪犯を専門に収容し、警備厳重なフォルサム刑務所の仏教チャプレン(教戒師)を4年間、務めていた。毎月2回、夕方の1時間半、フォルサム刑務所を訪問し、囚人たちと「仏教の教えを分かち合った」と旭先生は語っている。
きっかけは、囚人のひとりが、仏教チャプレンと話したいと、刑務所に要求したことだった。フォルサム刑務所は、サクラメント郊外に位置し、刑務所から北加高野山に、連絡があった。旭先生はフォルサム刑務所での説教にあたっては、1時間半の時間の中で、必ず1回か2回は、笑いをさそう、ふんいきを作り出すことを、心がけていたという。「囚人たちは、刑務所の中にいると笑う機会がありません。笑いは、気持ちをリラックスさせ、仏教への関心をより強くします」と旭先生は、説明している。
フォルサム刑務所では、2003年3月に、旭先生がチャプレンを始めたときは、集まる囚人たちの数は、6、7人だったが、2007年3月に、旭先生が去る直前には、43人に増えていた。人種も、白人、黒人、メキシコ人、アジア人、イスラム教で育ったアラブ人など、多様だった。仏教に対する関心が、アメリカ人の中に広がっていることを旭先生は実感した、という。
「この体験は、目から鱗がとれたような、感動的なことでした」と旭先生は、話している。凶悪犯の刑務所と聞くと、囚人たちに、悪魔か獰猛な動物のような悪いイメージを持ってしまいがちだが、実際に会ってみると、穏やかで、正直なひとたちばかりで、あったという。フォルサム刑務所は、懲役15年以上から終身刑を受ける囚人たちが、収容されており、長期間、刑務所にいる囚人たちは、人生の意味を真剣に考え始めるように、なるのだという。
再び、旭先生による仏教史の解説に戻ると、紀元前5世紀に成立したテラバダ(小乗仏教)、紀元2世紀ごろに成立したマハヤナ(大乗仏教)、そして7世紀ごろに、バジュラヤナ(密教)が成立している。「これらの3つの大きな流れは、山頂に登るためには、いくとおりのルートがあるようなもので、どこから登っても、同じ目標、つまり、悟りを得ることができる」と旭先生は、説明する。
旭先生は、仏教を広めるためにアメリカ人の僧侶を育てることをやっている。これまで、5人のアメリカ人が高野山真言宗の正式な僧侶として認められている。現在、ひとりのアメリカ人が高野山に滞在中で、僧侶になるための最後の試験を受けている。高野山真言宗では、試験が英語でも受けられるようになっており、これからは、中国語が追加される予定。
旭先生は、また多芸多趣味なお坊さんで、毎月最終日曜日の米国別院の朝の礼拝に前には、誘導瞑想クラスを行っている。また、日本語経典の英語への翻訳、精進料理クラスの開催、そしてワイン樽を使った太鼓作りから太鼓演奏の指導もしている。太鼓作りは、サクラメント時代の1993年から始まり、これまで100個以上の太鼓を作ってきた。太鼓作りのノウハウは、サクラメント都市圏芸術諮問委員会も認めるところとなり、同委員会からの援助金を得て、パンフレットやビデオを制作、サクラメントの小学校50校に配布されている。
ロサンゼルス高野山米国別院のホームページは、www.koyasanbetsuin.org
◎ 今年のジャパン・エクスポは、12月1、2日に開催 (1、7ページ)
日本の伝統と最新の流行を多角的にアメリカに伝えることを目的とする「ジャパン・エクスポ」は、今年で第28回目を迎え、12月1、2日の2日間、ロサンゼルス・コンベンション・センターで開催される。テーマは「日本の美と技」で、日本の伝統工芸品の展示、職人の技の披露がみどころとなる。今回の展示では、会場がテーマ・ゾーンに分けられ、古美術、アート・アンド・クラフト、日本旅行、日本食、Jポップ・カルチャー、イベントのテーマでブースが配置される。
古美術ゾーンでは、室町時代に作られた刀や鎧を中心に、着物店や職人ブースが展示される。玩具メーカー・バンダイがメインとなる、Jポップ・カルチャー・ゾーンでは、最新の日本アニメ、漫画、ゲーム、ファッションを見ることができる。エンターテイメント・ゾーンでは、人気ポップ・グループのドラドゴン・アッシュのアツシや、ファンタスティック・プラスティック・マシンの田中トモユキが登場する。
メインステージの目玉は、津軽三味線の吉田兄弟。吉田良一郎と健一の兄弟は、アメリカで、すでに4枚のCDを発売している。また、昨年末、任天堂がアメリカで新ゲーム機器ウイーを発売したときには、そのテレビ・コマーシャルの音楽に吉田兄弟の三味線が使われている。このほか、武芸考証監督・和気政幸が率いる殺陣パファーマンス「忍びの衆」によるアクション・ステージ、岩手県盛岡市を中心に、流行に左右されないファッション・デザインを提唱して洋裁クラスを主宰している村田愛子によるファッション・ショー、徳島の阿波踊りなどが登場する。
また、メインステージでは、人形創作者の辻村寿三郎の人形が披露される。辻村寿三郎は、人形作りだけはなく、着物デザイン、舞台衣装のデザインなども手がけている多才な芸術家。入場券は、一般大人が、12ドル。
◎ ニューオータニとリトル東京(パート2)日本文化のゲートウエーだった、ニューオータニ・ホテル(2、5、6ページ)
ニューオータニ・ホテルの建物が、ビバリー・ヒルズの3Dインベストメント社に買収されたことにともない、ニューオータニの名前が取り払われ、新しい経営陣と入れ替わることになった。これまで、ニューオータニ・ホテルは、ロサンゼルスにおける日本文化を発信する場所の役割を果たしてきた。
買収後のニューオータニ・ホテルには、半エーカーの大きさの日本庭園や、高級日本食の千羽鶴レストラン、そして日本式の風呂が付いた3室の和室も、残されるが、これまで、ニューオータニで行われた日本文化行事が、どれだけ引き継いでいかれるのか、ホテルの新経営陣の今後の対応が注目されている。
1982年から2003年まで、21年間にわたってニューオータニ・ホテルに渉外担当副部長として勤務した杉葉子さんは、ホテルの日本文化活動が最も盛んだった時期の、文化事業の担当者で、杉さんの手で年間行事や、文化イベントが企画され、実行されてきた。
「毎月第一日曜日は、お茶会や風呂敷ディスプレーなどの文化行事をランデブー・ラウンジで開催、第四日曜日は日本食料理クラスを開いて、御節料理、懐石料理、寿司などの作り方を見てもらいました。文化クラスは無料、料理クラスは一人8ドルか9ドルの参加費で、料理したものを食べてもらいました」と杉さんは、当時を振り返っている。
お茶会では、ロサンゼルスにある表千家、裏千家、江戸千家、小笠原煎茶道の各流派が交替でお手前を披露し、いけばなの紹介では、池坊、小原、草月、未生の各流派が交替で担当した。「こうした文化プログラムには、日本人ばかりでなく、アメリカ人の日本文化愛好家、そしてホテルの宿泊客までが参加していました。優れた先生たちに恵まれて、すばらしい企画でした」と杉さんは語っている。しかし、こうした文化企画も80年代がピークで、日本経済のバブルがはじけるとともに、縮小されて行った。
ニューオータニ・ホテルはまた、日本の著名文化人がアメリカに来るときのゲートウィーの役割を果たしていた。宿泊客には、安倍ジョージ、常盤新平、永六輔、寺内大吉などのそうそうたる著名人の名前があげられている。また、この時期に、杉さんは、「ニューオータニ・レディーズ・クラブ」を作り、月例のエンターテイナメントを行っている。
朝日新聞社主宰による著名人の講演会もニューオータニで行われ、有馬稲子、俵万智、倉本総、宮尾登美子らが公演した。また、ホテルの3階にある和室「橘ルーム」は、岸恵子が会合に使ったり、歌舞伎役者・坂東三津五郎九代目がロサンゼルスの弟子に免状を与えるときに使われた。日本食レストラン「千羽鶴」は、安倍晋太郎外務大臣(前安倍晋三首相の父)が昼食に使っている。
しかし、1990年代初めから日本からの宿泊客が減少し始め、やがて、ニューオータニ・ホテルの文化プログラムも縮小されて行く。
杉葉子さんは、1949年制作の映画「青い山脈」で女優デビュー、日本だけで70本以上の映画に出演しているベテラン女優。1960年代から日本を離れ、台湾、ドイツ、アリゾナを経て、1970年代からロサンゼルスに住んでいる。
◎ 2007年10月文楽北米ツアーを振り返る:アメリカに定着した文楽ファン(2,5ページ)
国立文楽劇場(大阪市)による2007年10月の北米公演は、各地で、成功のうちに公演を終えた。20年ぶりの文楽北米公演は、文楽ファンがアメリカに定着していることを、証明した。この北米ツアーの実現のためには、3年の歳月と日米両国での多くの個人、団体の努力があった。
2007年に文楽の北米公演をおこなう計画は、大阪市とサンフランシスコ市の姉妹都市提携50周年事業の一環としてもちあがった。そして、ボストン日米協会会長のピーター・グリーリ氏、サンフランシスコ・大阪姉妹都市協会の副会長スティーブ・イサオ・マツウラ氏、ロサンゼルス日米文化会館のロバート・ホリ氏の尽力によって実現した。グリーリ氏とマツウラ氏は、2007年北米文楽ツアー組織委員会の共同議長を務め、ホリ氏は、巡業部長の役割を果たした。また、文楽北米ツアーの主催団体は、ロサンゼルス日米文化会館が引き受けた。
文楽北米公演では、演目の間に、三味線、太夫、人形遣いの解説が行われたが、その時の司会進行役を務めたグリーリ氏に、アメリカで、なぜ、文楽が人気をもつようになったのか、をインタビューした。グリーリ氏自身が、初めて文楽に出会ったのは子供のころのことだった。第二次世界大戦が終わって数年後のこと、グリーリ氏の父親が連合国占領司令部に勤務するため、家族で東京に渡った。グリーリ氏が5歳のときだった。
グリーリ氏が初めて文楽を見たのは8歳のときで、文楽は、グリーリ氏にとっては、まったく新しいタイプの娯楽で、すっかり魅了されてしまった。文楽の作り出す世界には、現実以上になまなましさがあった、という。人間の感情を人形に置き換えたとき、人間が表現する以上の感情があふれ出るのだと、いう。それは、風刺表現の中に、より率直な感情が表れることに似ているのだ、という。
文楽をはじめ多くの日本の演芸は、アメリカの舞台芸術に影響を与えている、という。西洋演劇には、本物そっくりに演技をすべきだ、という伝統がある一方で、最近のアメリカの演劇界では、抽象表現を取り入れる傾向があり、そのときの手本になっているのが、日本の舞台芸術なのだという。
ジュリー・テイモアーが監督をしたブロードウィー・ミュージカル「ライオン・キング」には、操り人形が使われており、文楽から影響を受けていることは、明らかだ。また、ニューヨーク・メトロポリタン劇場で上演されたオペラ「マダム・バタフライ」ではオペラ歌手の周りに黒子が登場し、歌手を人形に見立て、黒子が人形遣いで、あるかのような演出が行われている。
このように、文楽への関心がアメリカで高まっていたにもかかわらず、1998年の北米ツアー以来、文楽公演はアメリカでは行われていなかった。今回の北米ツアーの実現のためには、3年の準備期間がかかったが、グリーリ氏は、次の文楽北米ツアーが10年先にならないように、願っている、と語っていた。
2007年10月の北米での文楽の公演先は、ボストン(10月2、3日)イリノイ大学シャンペイン校(10月6日)ノースウエスタン大学エバントン校(10月8日)サンフランシスコ・アジア美術館(10月12日)UCバークレー校(10月13、14日)ロサンゼルス日米劇場(10月18、19、20日)。スポンサーは、文化庁、国際交流基金、関西経済連盟、大阪商工会議所、大阪日米協会、米日財団、北米トヨタ自動車。
(この原稿は、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校でクリエーティブ・ライティング専攻のダニエル・ウィーネルが書きました)
◎ 現代アートの村上隆の総合展示がロサンゼルス現代美術館のゲフィン別館で、10月29日から2月11日(3ページ)
第二次大戦後、日本から現れたもっとも有名な現代アーティストのひとりと言われている村上隆の大規模作品展が、10月29日から2008年2月11日まで、ロサンゼルス現代美術館のゲフィン別館のすべての展示場(計約2万平方フィート)を使って進行している。「コピーライト・ムラカミ」というタイトルの付いた展示は、開幕直前に、ロサンゼルス・タイムズ紙も2回にわたって大きく取り上げ、ロサンゼルスの都心部には、垂れ幕型の宣伝やビルボード型広告塔が多数出現している。
村上隆は1960年代前半の生まれて、東京藝術大学の日本画コースを卒業している。また藝大の博士課程を修了して、博士号も持っている。伝統的日本画と、今、流行っている漫画やアニメの世界を同時に描き分ける才能に恵まれ、工房システムを作り上げて、多くのスタッフを使い、多くの異なるジャンルの作品を同時進行で制作している。東京とニューヨーク・ロングアイランドに制作場所を持っている。
村上隆の作風は、日本画を背景に使い近代的イラストを組み合わせた絵画から始まり、今は、日本画の要素をまったく捨てて、完全に漫画の世界に入り込んだ作品と、逆に日本画の伝統だけに戻った作品とを同時に制作している。また、アニメや金属製の巨大な仏像まで制作して、今回の展開に出展している。
また村上隆を世界的に有名にしたのは、ルイビトン・ハンドバックのデザインがある。2000年からルイビトン社のデザイン部長と村上隆の共同作業が始まり、それまで、落ち着いた色調が売り物だったルイビトン・ハンドバックにカラフルな模様と漫画デザインを持ち込んだ。
今回のゲフィン別館での展示では、約1000平方フィートのルイビトンの販売店舗が作られ、実際に、村上隆の工房がデザインしたハンドバックが販売されている。「コピーライト・ムラカミ」展は、ロサンゼルスの後は、ニューヨークのブルックリン美術館(2008年4月4日から7月13日)ドイツ・フランクフルトの現代美術館(2008年9月から2009年1月)スペイン・ビルバオのグーゲンハイム美術館(2009年2月から5月)を巡回する。
ロサンゼルス現代美術館ゲフィン別館は、リトル東京にあり、入場料は大人8ドル。火、水曜日が閉館。木曜日午後5時から8時までは、無料で見ることができる。
◎ 日系3世世代が「日本町」をテーマにしたミュージカル、12月1日(3ページ)
ロサンゼルスの日米文化会館が主催で、12月1日午後1時からリトル東京のアラタニ日米劇場でミュージカル「日本町こそ、その場所」が上演される。舞台は、2005年のアメリカに存在するある日本町、という設定。99年続いた饅頭屋を経営する三世が、商売を止めようとする前夜に、この店を創業した一世のおじいさんの亡霊が現れて、三世の孫を77年前の日本町に連れて行く、という話。
日系三世世代の俳優や音楽家による公演で、美空ひばりの持ち歌や、戦前の日本歌謡が流れる。チケットは35ドル。
◎ 映画「筆子」のロサンゼルス上映会、11月18日(3ページ)
◎ 東京からやって来る「セレブレティー弦楽四重奏」の全米日系博物館の公演、11月15日(3ページ)
◎ ロサンゼルスの日本舞踊、若柳久三師匠の東京国立劇場公演の凱旋公演、1月19日に日米劇場で(4ページ)
◎ 相撲の歴史:土俵入り(4ページ)
◎ 日本旅行情報:たばこと塩の博物館で、「幕末ニッポン」展、11月23日から1月14日(4ページ)
2008年は日米修好通商条約が締結されて150年目にあたる。日本専売公社から発展した日本たばこ会社が運営する「たばこと塩の博物館」では「幕末日本」のテーマで11月23日から1月14日まで、初代駐日総領事を務めたタウンゼンド・ハリスに関する資料のほか、幕末の世相を描いた浮世絵や幕末の状況を写した古写真、さらに新発見の資料である「文久日記」(文久年間<1861年から1864年まで>における桑名藩<現在の三重県>士の江戸滞在記録)などを中心に激動する幕末ニッポンの世相を紹介する。
(東京在住、板津木綿子<いたつ・ゆうこ>さんのレポート。板津さんは南カリフォルニア大学の博士課程在籍中。現在、津田塾大学の非常勤講師)
◎ ハンフォードのクラーク・センター日本美術研究所の秋の展示「舞と面:能舞台の芸術」、12月1日まで(5ページ)
能に使われた衣装や面の展示とともに、能舞台を描いた日本画の展示。日本画は、1897年から1902年にかけて数百枚にのぼる「能楽絵図」を描いている月岡耕漁(つきおか・こうぎょ、1860-1927)の作品が8点。耕漁は、月岡芳年を義父にもつ。耕漁は「能」をテーマにした浮世絵を売り出したことで知られている。
また、最後の琳派と呼ばれる神坂雪佳(かみさか・せっか、1866-1942)の作品が11点、展示されている。雪佳の作品は、耕漁より、より洗練された丸みのある、色彩豊かな日本画ある。
◎ パサデナ-静岡県三島の姉妹都市縁組50周年記念で祝賀会(6、7ページ)
姉妹都市縁組50周年を迎えて、三島市の代表団31人は、10月1日から3日間、パサデナ市を訪問した。三島市の訪問団の中には、ノーマン・峯田元運輸長官の従兄弟にあたる峯田タケシ氏が入っていた。パサデナ市の代表は、9月初めに三島市を訪問している。
◎ ロングビーチ-三重県四日市の姉妹都市縁組は45周年に(6、7ページ)
1年繰り上げて45周年を祝う四日市からの井上哲夫市長、笹岡秀太郎市議会議長ら代表団6人がロングビーチ市を訪問し、10月26日に祝賀会が行われた。
◎ パシフィック・アジア美術館でフランス人浮世絵師の展示、12月6日から3月30日(8ページ)
日本の浮世絵がモネやゴッホなどのフランス印象派に大きな影響を与えたことは、よく知られていることだが、フランス人の浮世絵師が日本に居たことは、あまり知られていないことである。ポール・ジャクレーは1896年にパリで生まれた。4歳のとき、フランス政府の役人だった父の仕事で東京にやってきて、生涯を東京で過ごした。
ジャクレーの時代には、江戸の技術を受け継ぐ版画の彫使や刷使がおり、その技術を生かした色鮮やかな作品が作られている。作品は166点が残されている。展示作品は、パシフィック・アジア美術館の所蔵品。今回の展示は約20点。
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by culturalnews
| 2007-11-26 04:35
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