英字新聞カルチュラル・ニュースの日本語要約


by culturalnews

<   2009年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

朝日新聞への投書 2009年5月27日
  
 新聞業界の不振が長く続き、その原因は若者の活字離れ、インターネットによる無料情報の氾濫と言われている。しかし、この説明は、まるで、破綻している米GM社が、車が売れないのは、消費者が悪いと言っているのと同じではないか。

 新聞が売れなくなっている第一原因は、新聞に商品価値=情報価値がなくなっていることである。日本人の日常生活における海外から、とりわけ米国からの影響は年々大きくなっている。米国での政治・経済・文化の動きが日本国内に直結している時代である。

  朝日新聞はロサンゼルスには百人、ニューヨークとワシントンには、それぞれ二百人の記者を常駐させるべきだ。そうしなければ、朝日新聞は、今の日本の読者が求めるニュースを提供できない。

 この数は、全国の朝日新聞記者二千人の四分の一に当たる。新聞社もそれくらいの大リストラが必要な時代に来ている。日本の製造業は八十年代から、生産設備を海外に移転する大リストラをしたために、世界的競争に勝ち残っている。

 それに比べると日本の新聞社は、過去三十年間、ほとんど変革をしていない。
[PR]
by culturalnews | 2009-05-27 16:34 | エッセー
◎クラーク日本美術・文化研究センター(中部カリフォルニア・ハンフォード)の夏の展示企画 「日本的な美:魅惑、退廃、好色、怪奇」5月24日から8月1日まで (P1、P2、P5)

展示の説明=世界的に知られている浮世絵は、江戸で作られ大衆向けに販売された絵で、描かれている内容は平面的で、ステレオタイプの構図が多い。江戸時代、京都で描かれた日本画は、富裕層のパトロンの注文で制作されており、内容は、魅惑、退廃、好色、怪奇と、人間のもつあらゆる様相や感情が対象になっている。

クラーク・センター夏の展示では、これまで、海外ではほとんど紹介されていない、こうした京都で制作された江戸時代後期の日本画30点が、並べられる。作家では、祇園井特(ぎおん・せいとく、1781-1829)と三畠上龍(1830年代)の作品が中心に、なっている。このほか、柴田是真(しばた・ぜしん、1870-1891)河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい・1831-1889)月岡芳年(1839-1892)が描いた幽霊の絵も展示される。

三畠上龍(みはた・じょうりゅう)作の「娘と子供図」(1ページの日本画)=絹本著色、双幅、19世紀半ばの制作=三畠上龍は天保期(1830-44)ころ、京都で活躍した肉筆美人画の絵師として知られている。荒く勢いのある奔走な描線を特徴とする独特の個性を持つ絵師で、一人立ちの美人を描いた掛軸作品を多く残している。

この図は異色の題材で、立美人図に、円窓から目を広げ見て外に向かっている少年の図が取り合わせられた双幅である。桜樹の前で風に吹かれる裾を気にしながら立つ娘の姿は、典型的な上龍らしい画風を示しており、大胆でやや煩雑な衣裳線や彩色にその強い個性を見ることができるであろう。

一方梅樹の側の円窓からのぞく少年は、指で目を広げて血走る眼球をあらわにし、歯をむき出して口を大きく開けた様子がたいへん奇異であり、他の上龍作品どころか浮世絵の題材全般にも思い当たらない内容でもあるので、何か特殊な注文によって制作されたものと想像される。

クラーク・センター=この展示「日本的な美」の企画は、同センターのアシスタント学芸員の田中圭子さんによる。田中さんは、ロンドン大学で修士号を得たのち、立命館大学で博士号を取得している。日本画のほかに、人形やおもちゃについても研究している。

カルチュラル・ニュース・バス・ツアー=7月18日(土):午前8時30分、リトル東京・京都グランド・ホテル前を出発:午前9時、ウエストウッド経由:12時-3時、クラーク・センター:午後6時30分、ウエストウッド:午後7時、リトル東京。バス代=55ドル、入館料(ギャラリー内解説費を含む)=8ドル。申込は info@culturalnews.com、(213) 819-4100 へ。定員25人、先着順。

◎バウアー・ミュージアムの「サムライの宝物展」=戦(いくさ)の時代と平穏な暮らしの時代に見る日本美術(東洋美術専門家・メーヤー・マッカーサーの記事、P1,P4)

バウアー・ミュージアムで始まっている「東京国立博物館の所蔵品:侍の宝物展」は、国宝や重要文化財を含む81点が展示されている。展示期間は6月14日まで。

展示されている国宝は、鎌倉時代中期(13世紀)の備前の刀工・助真(すけざね)が作った刀。江戸時代に紀州徳川家に納められ、伝えられてきた。鞘は19世紀に作られており、徳川家の家紋が彫りこまれている。

戦(いくさ)の時代に使われた道具の展示では、刀のほか、鎧、陣羽織が出展されている。戦のなかった江戸時代に武士が使っていた道具として、武士階級の間で発達した茶器や能装束などが出展されている。

カルチュラル・ニュース見学会=5月31日(日)午後1時から、日本美術コレクターのプライス悦子さんといっしょに「サムライの宝物展」を見学します。参加費は9ドル(入館料を含む)。申し込みは info@culturalnews.comまたは電話 (213)819-4100へ。人数に限りがあります。先着順。プライス悦子さんは夫のジョー・プライス氏と供に「プライス・コレクション」と呼ばれる国立博物館所蔵レベルの日本画を300点以上、収集しています。バウアー・ミュージアムの「サムライ」展にも、プライス・コレクションから「義経物語」の大型屏風が貸し出されています。

◎バウアー・ミュージアムの「サムライの宝物展」のオープニング・イベントに江戸千家の副家元・川上紹雪氏が講演 (P1,4,7)

◎カリフォルニア州立大学ロングビーチ校の日本人学生による「スナゴケ」の耐久性を調べるプロジェクト(P2)

◎ロサンゼルスの日米文化会館で、ガーデン・ボランティアを募集する(P2)

◎映画「おくりびと」(英語名:ディパーチャーズ=旅立ち)が全米で。5月29日から一般公開へ(P3)

◎南カリフォルニアの浄土真宗の盆踊り日程の一覧(P3)

◎沖縄県人会芸能部の恒例発表会「うたやびら・うどやびら=歌いましょう・踊りましょう」が5月24日、トーレンスのアームストロング劇場で(P3)

◎文化財漆修復家、山下好彦氏の講演会がゲティー・センターで、5月23日(P3)

ロンドンのビクトリア&アルバート・ミュージアムに所属される17世紀初頭に京都で製作された漆塗りの衣裳箱は、所有者の名前から「マゼラン・チェスト」と呼ばれている。装飾は「源氏物語」をモチーフにした豪華な作り。しかし、マゼランチェストは損傷が著しいことから幾度となく修復の必要が言われてきた。数年前、ゲティー財団、東芝文化財団、国際交流基金の援助で修復がロンドンで行なわれて、マゼランチェストは、2008年に日本で里帰り展示が行なわれ、5月24日までゲティー・センターで展示されている。

5月23日午後4時からゲティー・センター・レクチャーホールで、この修復を担当した文化財漆修復家、山下好彦氏の講演会が行なわれる。入場は無料だ、予約が必要。電話 (310) 440-7300へ。

◎ニベイ・ファンデーションの5月のジャパン・スタディー・クラブは小倉祇園太鼓について講演と実演、5月19日に(P3)

◎3月にロングビーチで行なわれた「海外の日本庭園についての国際会議」の要約と参加者からの感想文(P5)

◎合気道センター・オブ・ロサンゼルスの設立者、古屋顕正先生の急逝から2年目にあたり、古屋先生の歩みをふり返る(居合道の師範、ゲーリー・マイヤーによるエッセー)(P6)
[PR]
by culturalnews | 2009-05-20 16:30 | 月別の日本語要約
(2009年5月16日記)   

 ことばは「関係」をあらわすものである。わたしを生んで育ててくれた男女は、わたしや、わたしの妹・弟にとっては「父・母」という存在である。わたしには子供がいないのだが、妹夫婦、弟夫婦に子供ができると、親族間では、この男女のことを「おじいさん・おばあさん」と呼ぶようになる。
 こんな、当たり前のことを、あえて書いてみたのは、移民問題を考えるときに、当たり前のように使っている「日系〇〇人」という用語について、考え直してみることが必要と、思うからだ。

 わたしはアメリカに住んでいるので「日系アメリカ人」を例に使う。実は、「日系アメリカ人」は英語「ジャパニーズ・アメリカン」の翻訳である。そして「ジャパニーズ・アメリカン」という用語は、1960年年代までは、アメリカに存在しなかった。1950年代の米国移民法の改正で、日本人移民の帰化が認められるようになるまでは、日本人はアメリカ人(市民)になることができなかった。アメリカ生まれの二世たちは、生まれながらにしてアメリカ市民ではあるが、日米開戦が始まった1941年には、まだ、10代が多く、一人前扱いされていなかった。日米戦争が終わった直後の1950年代のアメリカでは、日本は「悪」の代名詞で、日本人のアイデンティティーを主張できるような寛容さはアメリカにはなかった。

 1970年代、カリフォルニア大学バークレー校から始まった学生運動の中で、アジア人のアイデンティティー主張が起こり、「エイジアン・アメリカン」(アジア系アメリカ人)という用語が作られた。「ジャパニーズ・アメリカン」という用語はその派生である。

 一部の過激派学生の政治用語として使われ始めた「アジア系アメリカ人」「日系アメリカ人」が、アメリカ社会に定着したのは、なぜか。それは、1970年代のアメリカ資本主義は、多民族マーケットを必要としていたからだ。資本主義は常にマーケットを拡大させていかなければならない。アメリカの白人資本主義マーケットは、1960年代で、飽和状態に陥っていた。そこで、目をつけたのが、黒人やアジア人移民の多民族マーケットである。奴隷から解放されて3代目になる黒人、農業労働者だった一世たちの3代目も、1960年代には、大学教育を受け、資産を作り、アメリカ市民になる要件を備えるようになっていたのだ。
 だから、アメリカ社会は積極的に、アジア系移民、日本人移民の子孫たちを受け入れる体制に入る。そこで、「アジア系アメリカ人」「日系アメリカ人」という用語が定着する。

 1970年代アメリカの社会状況と、現在、そしてこれからの日本の社会状況の共通点は、従来は視野に入ることもなかった、多民族と積極的な関係を築いていかなけらばならない点である。
 1970年代のアメリカのやり方を見習うと、ブラジルから来て日本で働いている人たちは、「ブラジル系日本人」と呼ぶのが妥当である。また、彼らは二重の意味で「ブラジル系日本人」である。日本からブラジルに渡った一世は、日本文化を生涯もちながら、ブラジル国籍を取得して生涯を終えたという意味で「ブラジル系日本人」なのだ。

 わたしは、ロサンゼルスに暮らして30年近くになるが、日本を離れた場所で長く暮らせば、暮らすほど、わたしの日本人としてのアイデンティティーは強くなって行く。これは、世界に共通する現象だ。多民族社会の中で、頭角を現す人は、アメリカ社会に同化したタイプではなく、自国の文化を強く持っている人のほうが多い。日本人移民で見れば、アメリカ社会への同化が進んだ二世世代よりも、日本文化丸出しの一世のほうに、大事業家が多い。

 ことばによって社会は作り出される。「日系〇〇人」という用語を使い続ける限り、外国人と日本人の境界はなくならない。日本が今後、多民族社会をめざすのであれば、まず「〇〇系日本人」の用語を定着させることが必要と思う。ロサンゼルスの日本人の間で、「在日韓国人」のことを「コリアン・ジャパニーズ」(韓国系日本人)と呼ぶ人も現れている。この方向は、すでに始まっているのかも、しれない。

「〇〇系日本人」の用語は、日本国内の文化・歴史を考え直すきっかけも与えてくれる。わたしは、ロサンゼルスでは、沖縄県人会の文化行事をよく取材するが、沖縄と日本は、まったく違う文化であることを、毎回強く感じる。沖縄語にある「ウチナンチュー」と「ヤマトンチュー」は、まさに「沖縄系日本人」と「ヤマト系日本人」である。        (了)
[PR]
by culturalnews | 2009-05-16 16:36 | エッセー