英字新聞カルチュラル・ニュースの日本語要約


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◎「サムライのアート=東京国立博物館所蔵の”武士の宝物展”」がサンタアナのバウアー博物館で開催される(1ページから7ページへ)

「銅丸」(どうまる)は平安時代から室町時代にかけて発達した形式の鎧で、着用者の胴体周囲を覆い、右脇で引き合わせて留める。安土桃山時代には、構造が発達して「具足」(ぐそく)と呼ばれるようになった。江戸時代には再び、古い時代の形式が装飾品として復活してくる。江戸時代に作られた銅丸を模して作られた復古調の鎧(写真)は胴丸具足と呼ばれている。

具足を構成しているのは、兜(かぶと)面頬(めんぽう=マスク)胴(どう)大袖(おおそで=両肩から上腕を守る防具)籠手(こて=腕手を守る防具)膝甲(はいだて=鎧の下に着て股と膝を覆う)脛当(すねあて=脛から踝(くるぶし)までの覆い)。

江戸時代の大名がこうした具足を作らせたことから、大名具足とも、呼ばれている。これらの武具が展示される「サムライのアート=東京国立博物館所蔵の”武士の宝物展”」は4月19日から6月14日まで、サンタアナのバウアー博物館で開催される。同展示は、2008年5月から7月にかけてモスクワのクレムリン博物館で巡回展示されている。

◎日本庭園国際会議でアメリカ人の庭園設計家・ロン・ハーマンが講演(1ページから2ページ)

日本庭園国際会議が3月26日から29日まで、ロングビーチで開催されるが、会議初日に行なわれる公開講演は、アメリカ人の庭園設計家・ロン・ハーマンが担当する。ハーマンは日本庭園の設計者としても著名で、講演内容は、日本庭園の設計の仕方、池と庭の調和、気持を和らげる構造物と庭の組み合わせ、日本庭園とカリフォルニア・スタイルと呼ばれる現代的建築、そして民藝運動の影響などに及ぶ。

ハーマンは、カリフォルニア大学バークレー校で、著名なランドスケープ・デザイナー・ギャレット・エコブとローレンス・ハルプリンに学んだ。25エーカーの敷地に桂離宮を再現したコンピューター・ソフト会社の経営者ローレンス・エリソンの日本庭園を設計しているほか、野球選手のジョー・モンタナ、歌手のニール・ヤングなど多数の有名人の庭園を設計している。

ハーマンの公共建築の仕事では、ローレンス・エリクソンの経営するオラクル・コーポレーションの本社(カリフォルニア州レッドウッド・シティー)や首都ワシントンのナショナル・ギャラリーのイースト・ウイング・ガーデンがある。

参加費は、午後7時30分からの講演のみが20ドル。講演後のレセプション付きが50ドル。会場は、ロングビーチ・ヒルトン・ホテル。問合せは、カリフォルニア州立大学内日本庭園へ。

◎1640年に京都で作られた蒔絵漆器(まきえ・しっき)がロンドンの博物館から借り出され、ゲティー美術館で展示(1ページから、4ページと5ページへ)

日本の漆工芸は世界的に名高く、陶磁器をチャイナと呼ぶように、漆器がジャパンと呼ばれたことが、その浸透ぶりを象徴している。特に、金銀を用いて漆黒の地をきらびやかに飾る蒔絵(まきえ)は、桃山時代にはじめて来日したヨーロッパ人を魅了し、特注品が作られるほどになった。海外での蒔絵の人気はその後も途絶えることなく、遠く東洋からもたらされた贅沢な品として珍重され、フランス王妃マリー・アントワネットら王侯貴族は競って蒔絵を求め、宮殿を飾った。

3月3日から5月29日まで、ゲティー美術館で開催される「蒔絵で描かれた物語:ヨーロッパ人のために作られた日本漆器」展では、ロンドンのビクトリア・アルバート博物館が所蔵する「マザラン・チェスト」と呼ばれる衣裳箱が公開される。

マザラン・チェストは、フランスの太陽王14世をそだてた大政治家マザラン枢機卿の家紋が付けられていることから、この名称で呼ばれている。1640年ころ、京都でヨーロッパに輸出するために製作されている。蒔絵による装飾は、源氏物語、曽我兄弟の場面を現している。

ゲティー美術館でのもうひとつの展示品は、「バン・デーマン・ボックス」で、オランダの東インド会社の創設時(1600年代)の総督夫人マリア・バン・デーマンの名前が記入されていることから、この名称が付けられている。バン・デーマン・ボックスは、その後、18世紀には、ルイ15世の寵妃、フランスの実権を握っていたポンパドゥール夫人の持ち物となった。19世紀になって、「バン・デーマン・ボックス」と「マザラン・チェスト」はイギリスの大富豪ウイリアム・ベックフォードの所有となり、その後、ビクトリア・アルバート博物館が所蔵することになった。

これらの漆器は、数百年を経て、湿度や温度異なる場所に置かれていたため、破損が進んでいた。ビクトリア・アルバート博物館は、ゲティー美術館と国際交流基金の協力を得て、日本から文化財修復漆工専門家の山下好彦(日本文化財漆協会常任理事)を招聘、山下がビクトリア・アルバート博物館の修復担当者を指導した。

今回の展示は、この修復された漆器が、2008年10月18日から12月17日まで、京都国立博物館、そして2008年12月23日から2009年1月26日まで、東京のサントリー美術館で開催された「ジャパン=蒔絵、宮殿を飾る東洋の燦めき」展に出展され、その後、ロンドンに帰えされる途中に、ゲティー美術館で展示されることになった。

ゲティー美術館の展示では、主要なものは3点と少ないが、日本では、ヨーロッパ各地に残された貴重なコレクションに、日本国内で所蔵される国宝、重要文化財を含む名品を加えた約240点が展示された。日本の展示用に出版された日英版のカタログをゲティー美術館で販売している。

◎学生たちをひきつけるカリフォルニア州立大学ロングビーチ校のジャパン・クラブ
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ロサンゼルスの大学では「ジャパン・クラブ」という名称の学生クラブ活動が盛んになっている。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校では、100以上もある学生クラブの中でも注目を集める存在になっている。同大学のアジア及びアジア系アメリカ人学部のダグラス小川昌子准教授は「わたしが、ジャパン・クラブの顧問をしていると言うと、同僚の先生からは、あの学生たちね、とすぐ分かってもらえる」と体験を語っている。

カリフォルニア州立大ロングビーチ校のジャパン・クラブは、2000年に、会計学科の学生たちの間で、発足したが、その後、活動内容は毎年、変化している。現在のジャパン・クラブは、会員数が約80人で、そのうち、約20人が日本人留学生だ。毎週、木曜日の午後USU305教室に集まる。午後3時から4時までは日本語勉強で、日本人学生がアメリカ人学生に、日本語を教える。午後4時から5時は日本文化アクティビティーという時間で、日本の習慣、遊び、流行などをやはり日本人学生がアメリカ人学生に説明する。そして、最後の時間、午後5時から6時までは就活(就職活動)対策の時間で、日本人学生同士が、就職情報の交換、模擬就職試験、模擬就職面接などを行い、本番に備えている。

ジャパン・クラブに集まる学生の動機やきっかけは、さまざまで、工業デザインを専攻している台湾からの留学生ウエン・リンの場合は、2年前に日本語のクラスを取ったこと。日本語クラスの先生からジャパン・クラブのことを聞き、クラブの日本人学生に日本語チューターになってもらった。その結果、日本語の成績がよくなり、ジャパン・クラブは欠かせないものになった。

名古屋市の隣、愛知県春日井市出身の内海悠子は、高校を卒業したときに、日本で希望の大学の入学試験にも合格していた。ところが、4月になって、友人がアメリカの大学に行くことを知り、急遽、アメリカ行きを決めた。外国に出て、視野を広めてみたかったのだ。まず、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校内にあるアメリカン・ランゲージ学校に入り、英語を勉強、それから同大学に入学した。1、2年生のときは、勉強すれば、いい成績が取れたものの、専門の生物化学に入ると英語が難しくなり、壁にぶつかった。その時、出会ったのがジャパン・クラブで、日本語を学ぼうとしているアメリカ人学生の手伝いをすることで、自信を取り戻し、外国語の習得にはアメリカ人も、同様に苦労していることを理解した。内海は、ジャパン・クラブの日本語勉強の担当で、毎回配布する日本語文章のプリントを用意する仕事を引き受けている。

千葉県幕張市出身の三石未央は、千葉県内の中学を卒業したあと、東京都武蔵野市にあるインターナショナル・スクールに入学した。この学校はアメリカやヨーロッパの高校へ生徒を送りだすことを目的の教育をしており、三石も、高校2年生のとき、ミネソタ州ウエスト・セント・ポールのキリスト教高校に編入した。そしてその高校を卒業して、隣の州のウエスコンシン大学で2年を過ごして、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に編入した。中西部で4年間を過ごすうちに日本人としてのアイデンティティーが強くなり、日本人に会いたくなったのが、カリフォルニアに来た動機だった。

三石は、カリフォルニア大学ロングビーチ校では心理学を専攻している。三石は、ジャパン・クラブでは、日本文化アクティビティーの担当だが、初めてこの仕事を引き受けた2008年秋学期の始まりのとき、日本の遊びを思い出そうとして、折り紙しか思いつくことができず、自分が日本文化を知らないことに愕然とした。三石は、その後、毎週の日本文化アクティビティーのプログラムとして、双六、剣玉、紙風船、墨絵、そして折り紙を用意することができた。三石にとって、ジャパン・クラブは、日本文化を再発見する場になっている。

2009年春学期のジャパン・クラブ会長を引き受けているのは、東京都武蔵小金井市出身の湯田希美(ゆだ・のぞみ)。心理学を専攻している。高校を卒業した後、仕事をして留学資金を貯めて、シアトルの語学学校を経てサンタモニカ大学に入学した。サンタモニカ大学は、日本人留学生が多く、英語の勉強のために、日本人留学生とは、まったく交際しなかったが、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に転入し、気持に余裕ができたことが、ジャパ・クラブに入るきっかけだった。クラブ探しをしているときに、勧誘に来たジャパン・クラブの日本人学生の英語がうまかったことに魅力を感じた。

◎作曲家・武満徹(1930-1996)をテーマに、コンサートやシンポジウムを開催、4月25-26日(3ページから7ページ)

質の高い芸術の普及をめざしているパサデナの「シューメイ(秀明)アーツ・カウンシル・オブ・アメリカ」は、設立10周年記念イベントとして「静寂に対峙する:武満徹の世界」と題したフェスティバルを4月25、26日(土、日)に、同団体が所有するシュウメイ・ホールで開催する。

シューメイ・アーツ・カウンシルは滋賀県信楽にあるミホ・ミュージアムの設立理念に啓発されて発足している。

この武満イベントは、4月24日(金)午後7時からパサデナのパシフィック・アジア美術館で行なわれる講演会「書における日本の文人」で始まる。日本での生活が長く、日本の伝統文化に詳しいアレックス・カーが講演する。また、アレックス・カーの書の展覧会は、3月13日から5月10日まで、シューメイ・ホール・ギャラリーで開催される(関連記事は4ページ)

「静寂に対峙する:武満徹の世界」は、日本人の自然観から生まれた独自の感性である「間」とそれに触発され、独自の世界を築き上げた日本を代表する作曲家、武満徹の音楽を通して「間」の根底にある日本文化の精神性を探ることが目的。シンポジウム、伝統芸能のコラボレーション、ドキュメンタリー映画の上映、武満作品のコンサートが行なわれる。

4月25日(土)午後1時からのシンポジューム「武満:自然と間の概念」では、日本文化と自然観に基づく日本独自の感性である「間」とその「間」によってもたらされる恩恵について武満の音楽を踏まえながら4人の日本通のアメリカ人が話し合う。パネリストは、ピーター・グリーリ(ボストン日本協会・会長、文化勲章受章者) アレックス・カー(作家、書道家、日本研究家、庵プロジェクト会長) ジェフ・ヴォン・ダー・シュミッド(サウスウエスト・チェンバー・ミュージック 音楽監督兼指揮者=グラミー賞受賞者) シャロン・フランケモント(ライフサイエンス財団教育部長, 直感力研究家、カウンセラー)。司会は、マーティン・パーリッチ(作家、プロデューサー、ラジオ番組ホスト)で、武満の音楽を、上野・ギャレット淳子がピアノ演奏する。

4月25日(土)午後4時からの伝統芸能のコラボレーション「間:音と静寂」では、日本文化を代表する芸能、芸術、東洋と西洋の楽器を融合させて、幽玄と自然を兼ね合わせた武満の世界を作り出す。サウスウエスト・チェンバー・ミュージックによる武満のピアノ曲「雨の樹素描」と、遺作「エアー」の演奏が行なわれる。武満の姪にあたる、作曲家・吉良春乃(きら・はるの)が作曲した「ムーンライト・ベール」「ブリース・フォー・ザ・ムーン」の演奏に合わせて、日本舞踊・坂東流の坂東秀十美の踊りがある。グラミー賞受賞・和太鼓奏者・中村浩二の作曲による「静謐(せいひつ)-武満を想う」の初演が中村自身の和太鼓と横笛演奏によって行なわれる。松山夕貴子の即興琴演奏で玉置雅律(たまき・まさのり=武者小路千家)のお茶のお手前とアレックス・カーによる屏風一双への揮毫が行なわれる。会場には、小池澄男の写真が展示される。「間:音と静寂」は、武満の甥、設楽幸嗣(したら・こうじ)が制作し、ドン・ライデル (フィルム・プロデューサー、シューメイ・アーツ・カウンシル理事)が演出する。

4月26日(日)午後1時からのドキュメンタリー映画「ミュージック・フォー・ムービー:武満徹」は、武満本人や、武満が音楽を担当した映画の監督たちが登場し、映画作りや作曲について語る。上映前にはこの映画のプロデューサーのひとりピーター・グリーリの説明と、設楽幸嗣の「叔父武満を語る」がある。
4月26日(日)午後3時からは、サウスウエスト・チェンバー・ミュージックによる、武満作品のコンサートが行なわれる。二日間とも入場は無料。問い合わせは、電話(626)584-8841まで。

◎京都を拠点の着物スタイリスト冨田伸明さんが、ドジャーズ球場で始球式に登場、4月16日(3ページ)

日本のテレビ・映画に着物を提供して、2000件を超える実績を持つ、京都を拠点とする着物スタイリスト(兼)デザイナーの冨田伸明さんが、南カリフォルニア日米協会の100周年記念イベントの一環で、4月16日にドジャーズ球場で着物デーイベントを行なう。4月16日(木)は、日本から100人以上の着物を着た観客を呼び、富田さんが始球式でボールを投げるときに、日米協会100周年のデザインをした羽織を付ける。

また、翌日4月17日(金)は午後6時30分から、リトル東京の全米日系博物館で着物ショーと講演会を行なう。詳細は、日米協会、電話 (213) 627-6217 へ。

◎モントレー・パーク市の桜祭り、4月18日、19日 (3ページ)
◎トーレンス市の姉妹都市委員会による「文化祭」、4月18日、19日 (3ページ)

◎キリスト教徒の社会運動家・賀川豊彦の生涯を描いた映画の上映会、4月11日、25日 (3ページ)
日本の近代化に幅広く活動した賀川豊彦(1888-1960)の生涯を描いた映画「死線を越えて-賀川豊彦物語」(1988年制作)の上映会。4月11日は午後2時からトーレンスのアームストロング劇場。4月25日は午後1時からアーバインのスタープレックス・シネマ・ウッドリッジ・ムービー5で。チケットは10ドル。

◎パサデナのパシフィック・アジア美術館で、ファミリー・デー、3月14日 (3ページ)
2月19日から8月9日まで開催中の「サムライ・リイマジンド:浮世絵からアニメまで」に合わせて、同美術館の3月のファミリー・デーは、アニメ、サムライをテーマに行なわれる。折り紙作りや鎧・兜の体験、剣道・合気道の実演など。美術館の入場は終日、無料になる。

◎熱海のMOA美術館で、ドイツから「ベルツ・コレクション」の里帰り展、3月28日から5月10日(4ページ)

特別展示「江戸と明治の華 – 皇室侍医ベルツを魅了した日本美術 -」。明治9年にお雇い外国人として来日したドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ博士(1849-1913)は、現在の東京大学医学部で教鞭をとるとともに皇室の侍医を務めるなど、日本の医学界の振興に多大な功績を残した。

その一方で、日本美術をこよなく愛し、25年間の滞在期間中に膨大な数の美術品を蒐集し、故国ドイツにもたらした。それが、ヨーロッパ有数の日本美術コレクションとして知られるリンデン民族学博物館所蔵の約6000点にのぼる「ベルツ・コレクション」となった。

MOA美術館では、このコレクションを中心に、リンデン民族学博物館の日本美術、ベルツの故郷に残る遺愛の品を加えた175点を精選し紹介する。特にリンデン民族学博物館が誇る日本美術コレクションをまとめて館外で展観するのは世界初。

◎ロサンゼルス日米文化会館で、日本庭園の専門家による講演、3月26日 (5ページ)

国際交流基金による講演企画で、3月26日(木)午後1時から3時まで、日本庭園の専門家の講演会がロサンゼルスの日米文化会館で行なわれる。参加費は10ドル。

講師は、京都市の中根庭園研究所代表の中根史郎さんと、東京農業大学造園学科の鈴木誠教授。中根さんは、古庭園の保存修理・伝統的な日本庭園の設計施工で世界的に有名だった故・中根金作さんの息子で、昭和25年生まれ、学習院大学哲学科を卒業して、父金作さんが作った中根庭園研究所に入った。

中根金作さんは、ボストン美術館の日本庭園や、アトランタのカーター大統領記念館の日本庭園を造っている。大阪芸術大学の学長も務めた。

中根史郎さんは、ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートの日本庭園をはじめ、ドイツ、中国、オーストリア、ウクライナ、イスラエルなどで作庭や設計をしている。

鈴木教授は、海外の日本庭園について詳しい。2人は、ロサンゼルスのあと、ロングビーチ、シアトル、ポートランドで講演する。

◎(コラム)シェフ・アンディー松田の寿司学校:英語で調理師の講習を受ければ、世界が職場になる (5ページ)

2月22日に、大阪の読売テレビの「グッと地球便」で、わたしのことが約30分にわたって、紹介されました。この番組は、海外で仕事をしている日本人を紹介することをメインにしながら、その人の日本にいる家族も紹介し、番組制作スタッフが、日本の家族から海外で仕事をしているひとへギフトを預かって、届けるという趣向が入っています。

わたしは、この番組の中で、いつも言っていることですが、寿司を正しく調理するひとの数が極端に不足していることを、説明しました。寿司が世界中で人気が出ている割には、調理師は不足しているのです。わたしの学校で調理を英語で覚えてしまえば、世界中どこへ行っても、仕事ができます。

実際に、わたしの学校を卒業して現在、フィンランドの首都ヘルシンキでシーフード・レストランの寿司場を任されている日本人女性がいます。この人は静岡県出身で、看護婦をしたあとで、カナダに英語の勉強に来ました。そのカナダにいたとき、わたしの寿司学校を見つけて、カナダからやって来ました。2カ月のトレーニングのあとで、アメリカで仕事したかったのですが、ビザ滞在期限が切れたため、日本に帰りました。そして、東京でヘルシンキの仕事を見つけたのでした。

この人の場合は、好運もあったでしょうが、同時に、寿司職人の仕事が世界中で見つけられることを証明しています。

◎カリフォルニア・ライス・コミッション(カリフォルニア州内のコメ生産者のよる業界団体)が主催の「寿司マスター」競技大会が、2009年は全米規模に拡大(5ページ)

2009年の「寿司マスター」競技大会は、予選地区をワシントンDC(4月14日)、フロリダ(5月15日)、そしてカリフォルニアの3地区に拡大する。カリフォルニア地区の決勝戦は、6月25日にサンディエゴで行われる。全米チャンピョンを決める本選は、2009年秋にロサンゼルスで行われる。日程は現段階では未定。

◎南カリフォルニアの日本人移民社会で県人会が果たす役割 (6ページ)

移民社会では、どこの国の出身者も母国や出身地とのつながりを大切にしているが、ロサンゼルスの日本人社会でも同様である。ロサンゼルスでの「県人会」は1960年代までは、ひとつの県人会の会員数が数千世帯とたいへん活動がさかんだったが、今では、会員世帯数は1/10に減っている。

しかし、県人会がロサンゼルスの日本人移民社会で、果たす役割は依然として需要である。まず、第一に「県人会」という知名度は大きなものがある。ロサンゼルスには41都道県の県人会があり、これらの団体が集まって「南カリフォルニア県人協議会」を組織している。この組織の歴代の名誉会長は、ロサンゼルス総領事が務めることになっている。

最近行なわれた県人会協議会の選挙で、オレンジ・カウンティーの実業家、宮崎まこと・マックさんが2009年度の会長に選ばれた。宮崎さんは、今年73歳。東京で生まれているが、3歳のとき家族が群馬県の高崎に引越し、群馬県が故郷だ。

ロサンゼルスには1955年に大学に入ることを目的に来た。ロサンゼルス市立大学の学生だったころ、すでに「新渡米者」の会を組織、留学生や帰米二世(アメリカ生まれで日本で教育を受けた二世)を集めて敬老者を慰問していた。結婚したため「東京ランドスケープ」という庭作りの仕事を始めたことろ、開発ブームのオレンジ・カウンティーで、多くの顧客を得た。その後、1970年に日本語の分かる保険ブローカーが必要ということから、保険の販売をはじめ、現在の宮崎インシュアランス・エージェンシーに発展している。
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by culturalnews | 2009-03-25 17:18 | 月別の日本語要約