英字新聞カルチュラル・ニュースの日本語要約


by culturalnews

わたしは「アメリカ系日本人」

(2009年5月16日記)   

 ことばは「関係」をあらわすものである。わたしを生んで育ててくれた男女は、わたしや、わたしの妹・弟にとっては「父・母」という存在である。わたしには子供がいないのだが、妹夫婦、弟夫婦に子供ができると、親族間では、この男女のことを「おじいさん・おばあさん」と呼ぶようになる。
 こんな、当たり前のことを、あえて書いてみたのは、移民問題を考えるときに、当たり前のように使っている「日系〇〇人」という用語について、考え直してみることが必要と、思うからだ。

 わたしはアメリカに住んでいるので「日系アメリカ人」を例に使う。実は、「日系アメリカ人」は英語「ジャパニーズ・アメリカン」の翻訳である。そして「ジャパニーズ・アメリカン」という用語は、1960年年代までは、アメリカに存在しなかった。1950年代の米国移民法の改正で、日本人移民の帰化が認められるようになるまでは、日本人はアメリカ人(市民)になることができなかった。アメリカ生まれの二世たちは、生まれながらにしてアメリカ市民ではあるが、日米開戦が始まった1941年には、まだ、10代が多く、一人前扱いされていなかった。日米戦争が終わった直後の1950年代のアメリカでは、日本は「悪」の代名詞で、日本人のアイデンティティーを主張できるような寛容さはアメリカにはなかった。

 1970年代、カリフォルニア大学バークレー校から始まった学生運動の中で、アジア人のアイデンティティー主張が起こり、「エイジアン・アメリカン」(アジア系アメリカ人)という用語が作られた。「ジャパニーズ・アメリカン」という用語はその派生である。

 一部の過激派学生の政治用語として使われ始めた「アジア系アメリカ人」「日系アメリカ人」が、アメリカ社会に定着したのは、なぜか。それは、1970年代のアメリカ資本主義は、多民族マーケットを必要としていたからだ。資本主義は常にマーケットを拡大させていかなければならない。アメリカの白人資本主義マーケットは、1960年代で、飽和状態に陥っていた。そこで、目をつけたのが、黒人やアジア人移民の多民族マーケットである。奴隷から解放されて3代目になる黒人、農業労働者だった一世たちの3代目も、1960年代には、大学教育を受け、資産を作り、アメリカ市民になる要件を備えるようになっていたのだ。
 だから、アメリカ社会は積極的に、アジア系移民、日本人移民の子孫たちを受け入れる体制に入る。そこで、「アジア系アメリカ人」「日系アメリカ人」という用語が定着する。

 1970年代アメリカの社会状況と、現在、そしてこれからの日本の社会状況の共通点は、従来は視野に入ることもなかった、多民族と積極的な関係を築いていかなけらばならない点である。
 1970年代のアメリカのやり方を見習うと、ブラジルから来て日本で働いている人たちは、「ブラジル系日本人」と呼ぶのが妥当である。また、彼らは二重の意味で「ブラジル系日本人」である。日本からブラジルに渡った一世は、日本文化を生涯もちながら、ブラジル国籍を取得して生涯を終えたという意味で「ブラジル系日本人」なのだ。

 わたしは、ロサンゼルスに暮らして30年近くになるが、日本を離れた場所で長く暮らせば、暮らすほど、わたしの日本人としてのアイデンティティーは強くなって行く。これは、世界に共通する現象だ。多民族社会の中で、頭角を現す人は、アメリカ社会に同化したタイプではなく、自国の文化を強く持っている人のほうが多い。日本人移民で見れば、アメリカ社会への同化が進んだ二世世代よりも、日本文化丸出しの一世のほうに、大事業家が多い。

 ことばによって社会は作り出される。「日系〇〇人」という用語を使い続ける限り、外国人と日本人の境界はなくならない。日本が今後、多民族社会をめざすのであれば、まず「〇〇系日本人」の用語を定着させることが必要と思う。ロサンゼルスの日本人の間で、「在日韓国人」のことを「コリアン・ジャパニーズ」(韓国系日本人)と呼ぶ人も現れている。この方向は、すでに始まっているのかも、しれない。

「〇〇系日本人」の用語は、日本国内の文化・歴史を考え直すきっかけも与えてくれる。わたしは、ロサンゼルスでは、沖縄県人会の文化行事をよく取材するが、沖縄と日本は、まったく違う文化であることを、毎回強く感じる。沖縄語にある「ウチナンチュー」と「ヤマトンチュー」は、まさに「沖縄系日本人」と「ヤマト系日本人」である。        (了)
[PR]
by culturalnews | 2009-05-16 16:36 | エッセー